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ビンラーディン殺害は米国の"勝利"か?
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ビンラーディン殺害は米国の"勝利"か?

takanoron.png パキスタン国内に隠れ住んでいたウサマ・ビン・ラーディンを海軍特殊部隊を投入して殺害したことを5月1日発表したオバマ米大統領は、「正義はなされた」と誇らしげに宣言し、ホワイトハウス前やニューヨークのグランド・ゼロには市民が集まって祝勝の声をあげた。確かに、アフガニスタンでの10年越しの戦争の目的の1つが彼の逮捕もしくは殺害であったことからすれば、米国の"勝利"には違いないが、果たしてこれはどういう勝利なのか。

●どうして容疑者を殺すのか?

 いくつもの疑問が浮かぶ。

 第1に、新聞各紙の見出しが示すように(読売は例外で呼び捨てだが)、ビン・ラーディンは「容疑者」であり、それを司法手続きも何もなしにいきなり頭を撃ち抜くのは、単なる殺人ではないのか。

 オバマに問えば、答えは「戦争だから当然だ」の一言に尽きるのだろうが、法政大学の多谷千香子教授(元国連旧ユーゴ戦犯法廷判事)は「米国にとって危険人物なら、誰でも殺して良いことになってしまう」と批判し、また早稲田大学の最上敏樹教授もアフガニスタンでの国際治安支援部隊の活動を認めた「国連安保理決議では、ビン・ラーディン容疑者を引き渡し、裁判にかける手順を想定していた。いきなり殺害してしまうのは同決議の精神に則したものなのかどうかの疑問が残る」と述べている(共に3日付朝日)。

 その通りで、西部開拓村の荒くれ保安官が、警察署長と税務署長と裁判長と死刑執行人を兼ねるほどの権限を一手に握って、悪漢や不審者を思うがままに撃っていた近代司法以前の野蛮が、帝国の黄昏の深まりと共にむしろ蘇っているのではあるまいか。

 第2に、そもそもビン・ラーディンが本当に「容疑者」なのかどうかについて、米国民も世界も一度も明証を示されたことはなく、そして彼が裁判の場に引き出されることもなく葬られたことによって、本人からその明証を得られる機会は永遠に失われた。これで、9・11事件は米権力深奥部による"自作自演"の陰謀であるという根強い風説は再び勢いを増すことになろう。

 私が2001年10月7日号のインサイダーで書いたように(高野著『滅びゆくアメリカ帝国』、P105)、「最初の段階でタリバン政権は、どれだけ真面目であったかどうかは別にして、『ビン・ラーディンが真犯人である証拠を示せば身柄を引き渡す』とワシントンに申し出た。ブッシュは『奴らと交渉などする余地はない』と蹴って、戦争に持ち込んだのだが、それはその時点で(今でも!)ビン・ラーディンの関与を示す明証が揃えられなかったからだろう」。

 証拠があって彼の身柄を押さえられる可能性があるのならそれを最大限追求するのは当然で、それがもし成功していれば、米国は10年間の歳月と1兆ドルの戦費と6000人の米兵の命を無駄にしてアフガニスタン、イラク両戦争を戦う必要がなかったことになる。「まあ、戦争をやりたいほうが先だったということだろう」(同上)。

●これは侵略ではないのか?

 第3に、アフガニスタンの基地を発した米特殊部隊のヘリが、パキスタン政府に事前通告すらなく同国に侵入して作戦を実施したのは、武力侵攻による「主権侵害」(ムシャラク前パキスタン大統領)に当たらないのか。前出の最上教授は、「パキスタン政府が同国内での米軍事行動に同意していたとすれば、国際法上はありえることだ。......一方で、同意がない場合、全く違法な武力行使したことになる。......同意していなければ、パキスタン政府はかなり強く抗議する可能性がある」と指摘している。

 実際にはパキスタン政府はフラフラ状態で、抗議するどころか、「ビン・ラーディン殺害は世界中のテロ組織にとって大きな挫折となった」との2日付の外務省声明に続いて、ザルダリ大統領が3日付米紙ワシントン・ポストに寄稿し「米国のいくつかのメディアは『パキスタンがテロリストを保護している』などと報じているが、事実は違う。ビン・ラーディン殺害は米パの長年の協力関係の賜だ」と弁解した。

 しかし、首都近くに堂々とビン・ラーディンが豪邸を構えているのを知らなかったことなどあるはずがなく、内外からのパキスタン政府不信は一気に深まっていて、米政府も今回の作戦による押収品の分析を進めるなど、潜伏にパキスタンの関与があったかどうか調査を開始する方針を決めている。それに対してザルダリ政権が頭を低くして擦り寄ろうとすればするほど、国内からは「米国の一方的な軍事行動は主権侵害を超えて屈辱的だ」との反米感情が高まることになる。

 すでにアル・カイーダ系の「パキスタン・タリバン運動」は報復テロを宣言しており、その矛先はまずザルダリ政権に向けられる可能性もある。

 元々パキスタンは、ムシャラク政権時代から、対米面従腹背というか、外交の表舞台では米国のテロ退治作戦に全面的に協力しながら、裏では軍の諜報組織である統合情報部(ISI)を通じてタリバンを育成しアル・カイーダを支援するというジキル&ハイドを演じてきた。米国はそのことに不信を抱きつつも、パキスタンの協力なしにはアフガニスタン戦争の遂行は難しいので、この10年間に200億ドルもの「テロ対策援助」をパキスタンに与えてなだめすかすようにしてきた。しかしブッシュ政権末期以降は、タリバン武装勢力にいよいよ手を焼いて、彼らが出撃基地にしていると言われるパキスタン北部の村々を無人爆撃機で爆撃、多数の一般住民をも巻き添えにして殺したので、米パ関係はますますディレンマに陥った。確かにこの侵略的爆撃は、何人かのタリバン幹部や司令官、それにアル・カイーダ残党を殺すことには成功したかもしれないが、反面、パキスタン国民の反米感情を掻き立ててテロがアフガンからパキスタンへと"輸出"されていく土壌を耕すことにもなった。

 今回の作戦で、米パ関係は二進も三進もいかなくなり、結果、ザルダリ政権が国内を統御できずに動揺、タリバンに親近感を持つイスラム原理主義的勢力が勢いを増すことにもなりかねない。オバマ政権が今後の米パ関係とパキスタン国内治安の確保について綿密な筋書きを持たずにビン・ラーディン殺害の功を焦って突出的な行動に出たのだとすると、核を保有するパキスタンが過激派の手に落ちるという最悪事態さえ起こらないとは言えない。

●国際テロは抑えられるのか?

 第4に、これはすでに多くの人々が指摘しているとおり、世界からテロをなくしていくという究極目標を達成する上でビン・ラーディン殺害が何らかのプラスになるのかと言えば、ほとんどなりそうにない。

 アル・カイーダはネットワーク型の国際テロ組織であって、その中でビン・ラーディンは神格化された精神的指導者ではあるが、すべてを計画し命令する中央司令官ではない。すでにイスラム世界から欧州はじめ全世界に分散して潜伏する集団や個人は、反米欧・反キリスト教の感情は共有するけれども、それぞれ独自にテロを実行する。また、パキスタンで生まれた過激派「ラシュカレトイバ(純粋兵団)」のように、アル・カイーダとむしろ対抗しながら世界中に勢力を広げている組織もある。第2の9・11があるとすれば「核テロ」の可能性が高いことが指摘されており、その危険は5月1日以後かつてなく増大していると言える。▲

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» ビンラディン殺害は、アメリカの「国家テロ」。 送信元 みなと横浜みなみ区3丁目
日本時間2日午後、米海軍特殊部隊のヘリコプター3機が、パキスタンの首都イスラマバ [詳しくはこちら]

» ビンラディン殺害の波紋は大きい。 送信元 みなと横浜みなみ区3丁目
アメリカ軍特殊部隊によるビンラディン殺害に関する簡単なアンケート結果がある。 ウ [詳しくはこちら]

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http://www.the-journal.jp/contents/info/2009/07/post_31.html

ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

高野 様

ご投稿の通り、ビン ラーディン氏の殺害は、米国にとって、オバマ氏にとって、利益があるのかどうか、はなはだ疑問です。

9.11のテロからはや10年、大きな衝撃でしたが、現時点では、ビン ラディン氏は過去の人に過ぎないのではないか。

また、ビン ラディン氏の居所は、お話に出ていますが、すでに数年前に把握していたのでしょう。

把握していながら、拘束の行動に出られなかったのは、確かなビン ラディン氏のテロ関与を証明できない、或いは米国の自作自演のテロであったかもしれない。

今回、電撃的な行動に出たのは、ひとえに大統領選挙を有利に進める戦略であり、テロの実態がつまびらかになることを恐れ、拘束後、殺害したのではないか。

この殺害は人権侵害もはなはだしく、お話の通り、10日以降米国の世論が、オバマ氏批判に変わる可能性が大きい。

オバマ大統領がどんな話をされるか判断できないが、オバマ氏が苦境に立たされるのは間違いない。

高野さん、おはようございます
(いま5月6日5:55頃です)

高野さんの論を本来あるべき姿(でも建前)とするなら、田原牧さんの論は現実に動いている本音とも言えるでしょう。
どちらが正しいのか?
どちらも正しいともいえるし、間違っているといえるのではないかと思います。
では、どちらが大きな流れになるのか?
それは残念ながら、田原さんの本音の論のような気がします。
パキスタン政府がアメリカ政府に対してこの殺害について国家主権の侵害が言っていますが、アメリカもそのくらいの抗議は当然わかっていたでしょう。
それでも、いまその行動をとったことはオバマ再選に大きく関わっているのだと思います。

もともと、アルカイーダとはどこまで実態のあるものなのかについて疑問に思っていた僕としては、またまた、事実が闇から闇へ祭られることになってしまったことに残念感が大いに残ります。

ただ、それに関与しているそれぞれの思惑が化学反応を起し、真実ないし事実は変容するものだということも知っておきたいと思います。

高野さんの説に同意します。私は高野さんが言われているとおり、アメリカはまさに時代の黄昏を迎えたと思います。アメリカの栄光は第二次大戦までです。ベトナム戦争にいたっては正に軍事覇権国の驕りそのものでしょう。一般世界ではあの世界大戦を契機に戦争をしたくないとの風潮が広がったにも拘わらず、66年を迎えた今に至っても戦争を続けている国、世界史を見てもめずらしいでしょう。西部劇を見ても、武器を持たない相手と後ろからは撃たないのがガンマンのルールだったと聞いています。そういう意味でアメリカの落ちぶれを感じます。そのアメリカに追随するわが国の風潮を懸念する一人です。

<高野様>
こんにちは。誰も勝利者がいない闘い。空しい限りである。
しかし、これをアメリカが勝利と呼びたいならそれでいい。アフガンから撤退する言い訳に使いたいなら使えばいい。
私の願い、それはイラクとアフガンの市民がこれ以上、殺害されないで欲しい。これ以上、無益な殺戮はするな、それに尽きる。
小沢氏は代表時代、クリントンとの会談で「イラクだけでなくアフガンも勝てない」と言い切った。それは現実ではあるが、オバマは、兵器の在庫一掃セールを行い、そろそろ「ま、いいか」と決断したのだろう。
これで、彼の大統領再選の目が出てきた。彼は、次期4年間で、アメリカ流共生社会をどこまで築けるのだろうか。

5月5日付のフィナンシャル・タイムスは、
「ビンラディンが殺害された事や、世界がそのおかげで良くなった事を本気で疑う人はほとんどいないだろう。」
と、書いている。

所詮、「白人」なんだなと思うしかない。
彼らに、第1次大戦あたりからの歴史を語りかけても無理なのだろう。
これは、「テロとの戦い」などじゃない、戦争なんだと云っても、解ろうとはしないだろう。
合衆国が、西南アジアで、過去において行ってきた事を振り返れなどと言っても、「世界のジャーナリズム」にも、「公平な目」などは望むべくもないのだろう。
当たり前だなと思う。
白人の為の、白人のジャーナリズムなのだ。

もっとも、どこかの国のマスゴミなんかよりは、よほど良いけれど。

 
 

> 国際テロは抑えられるのか?

 真っ先に“テロ”という表現そのものに 違和感を感じます。
“テロ”とは、「組織的無差別殺戮および国の枢要建築物破壊」のようなことを指すのでしょうか?

三菱重工爆破事件(1974年8月30日に東京丸の内で発生した、東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件。)
オウム真理教による組織的無差別殺戮。
これらの事件に接して感じたことは 人一人の命の尊厳への距離感。
自らを“投機”し続ける“生身の社会性”が感じられない。
社会性を欠如したあり方・仮想空間世界でしか自らを解き放せない在り方。
社会性を育めない幼稚さが感じられる。

 ところが 9.11に際して パレスチナの地では歓喜する映像もあった。
今回も アメリカでは同様の映像が映し出される。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の世界には“過剰な報復”を避けるために 同程度の報復を許容する精神構造もあるのでしょうか?


この国にも“仇討”がありました。
武士階級に認められ“返り討ち”も認められ、一回限り、“逆仇討”は認められない。 報復合戦は禁じられた。


 この度、日本国内では。
“ひとを殺して歓喜する国民にはなりたくない。”
と、感覚的になされる発言もあります。
このことは 日本人としては即共感できる“言い回し”なのですが…
繰り返され続ける パレスチナ&ユダヤ
繰り返され続ける ユダヤ&パレスチナ
繰り返され続ける報復。

私たちは 成人する前に 強制的に徴収されて海外に 一旦“投棄”されるべきではないのかとさえ 考えます。
 
 

太郎様5月6日20:54

この度、日本国内では、
‘ひとを殺して歓喜する国民になりたくない’と感覚的になされる発言もあります。

このご発言に大きな違和感を覚えます。喜怒哀楽を超えた境地から発せられた言葉に対して、感覚的と捉えるのは、逆ではないでしょうか。少なくとも感覚的見方からは遠く離れています。

人間は、本来的に自我で出来ることは限られた「生」において可能ですが、だれでも自我ですべてをコントロールできるものではありません。

悲しいことですが、だれでも大きな命に生かされているに過ぎないのではないでしょうか。
そのことを忘れ、自我のままに他人の悲しみを自分の悲しみに出来ないようであれば、人間として人格が欠けているといえるのではないでしょうか。

所詮、人生観の違いから出ていますので、太郎様の人生観を否定はいたしませんが、他の人の人生観を否定するようなことは、避けていただきたいものです。

この事件に関する簡単なアンケートがある。ウォールストリートジャーナル日本版のコンピュータ上の調査経過である。

それによると「米軍による殺害を支持時する」は21%に対し、「支持しない」は78%に上る(日本国内・6日22時現在)。

一方米国内の反応は、「93%がビンラディン容疑者の殺害を支持」となっている(ギャラップとUSAトゥデーの世論調査)。

これらの調査経過・結果は、日米が「西側の盟友として同一の価値観(民主主義)を共有するため」として密接な関係を築いてきたはずの両国の間ですら、これだけの世論の乖離があることを示している。

まして、容疑者殺害の現場となったパキスタンでは、北部のゲリラ掃討作戦による空爆で、多数の死者・重傷者や孤児を生み出している現状を見るとき、この作戦によるアメリカの「成功」は、オバマの期待を大きく裏切ることになる。

アフガンの内戦は、間違いなくパキスタン国内へ飛び火する。北部山岳地帯から、首都近郊に至るまでの戦乱はのがれられないし、報復と暴力の限りない連鎖に、勝者などあり得ない。

アメリカは、イスラム教国であるパキスタンの現政権に対して不信感を強めており、インドとの関係を強化することによってパキスタンへプレッシャーをかけようとする動きすらある。アメリカ外交の常套手段である。

パキスタン北部は、歴史的に印パ間の紛争が繰り広げられてきた地域であり、今や核保有国である両国の反目と関係悪化は、今までのイラク、アフガンでの戦争とは重大性を大きく異にする。

さらに、民族問題にナイーブな中国やイランなどの核の火薬庫も控えている現状を見れば、南西アジアは単なる民族問題から一気に飛躍する可能性もまた大きい。

 
 

yamadataro (2011年5月 7日 11:56)氏へ
> 自我のままに他人の悲しみを自分の悲しみに出来ないようであれば、人間として人格が欠けているといえるのではないでしょうか。
> ・・・、他の人の人生観を否定するようなことは、避けていただきたいものです。

> この度、日本国内では。
“ひとを殺して歓喜する国民にはなりたくない。”
と、感覚的になされる発言もあります。
このことは 日本人としては即共感できる“言い回し”なのですが…

太郎という日本に生まれ育った自我は 「即共感できる“言い回し”」とコメントしております。
何故  “9.11に際して パレスチナの地では歓喜する映像もあった。
今回も アメリカでは同様の映像が映し出される。“
このことに 何故という疑問を持ちました。

> 自我のままに他人の悲しみを自分の悲しみに出来ないようであれば、人間として人格が欠けているといえるのではないでしょうか。
 パレスチナの人々も アメリカの人々も、“人間として人格が欠けている”のでしょうか?


> ・・・、他の人の人生観を否定するようなことは、避けていただきたいものです。
 この“極めて感覚的なもの言い”で すべてが済まされれば、徳川幕府の鎖国をすれば・・・ 良いのなら、太郎も人生を楽に生きられると存じます。


 パレスチナとアメリカの それぞれの受けとめ方と表現の仕方に、何故という違和感を持って このコメントをしています。

 日本人とは 特殊な人類なのでしょうか??
 それとも、
パレスチナの人々も アメリカの人々も、“人間として人格が欠けている”のでしょうか?
 
 
 

太郎 様 5月7日 20:08

9.11で、パレスチナが歓喜するのを肯定するものではありません。

人間誰でも生きていくのに苦しみが多く、悲しい存在であって、このことはアメリカ人もパレスチナ人も同じでしょう。どんなことがあっても、其処に殺される人がいて、その人の事情を考慮することなく、その人の人格を全面否定するような歓喜の勝どきを上げるのは、その人の人格バランスが崩れているといいたいのです。

争いごと、特に戦争などを何時までもしていては、平和などは期待できません。全ては、利権と宗教上の対立ではないでしょうか。

私は、日本人は「和」の精神を昔から重んじ、素晴らしい民族であると信じています。

さりとて、歴史的に、宗教上の対立を含んだ戦争が他の国で多いのは否定しませんが、お互いに歓喜したり、悲しんだりして、国土を破壊していては、一般の人たちの精神的、経済的幸せは期待できません。また、素晴らしいことだとは思いません。

地理的に、日本は島国であり、多少の争いはありながら、極めて平和な生活が営めていることに感謝しなければならないと思います。

特にあなたの日本人を「放棄」すると言う言葉に触発され、「人格」という言葉で一言申し上げただけであって、現実的対処としては、唯物的見方、唯心的見方双方はあってしかるべきです。


yamadataro (2011年5月 8日 06:57)氏へ
> 人間誰でも生きていくのに苦しみが多く、悲しい存在であって、このことはアメリカ人もパレスチナ人も同じでしょう。
 

 基本的に私は“エピキュリアン”です。
生を授かったのですから 一生のうちに五感プラスアルファを 十二分に楽しませてあげたいと存じます。。

 
> どんなことがあっても、其処に殺される人がいて、その人の事情を考慮することなく、その人の人格を全面否定するような歓喜の勝どきを上げるのは、その人の人格バランスが崩れているといいたいのです。
 
 
 仰る通りとかんじます。
この感覚は共有出来ております。
ただ > ・・・、その人の人格バランスが崩れているといいたいのです。
と、断じることに ?を感じ コメントしてます。

日本人の一般的な感覚と パレスチナ&アメリカの感覚には、大きな隔たりがあるのか?
その辺が 知りたいと思いコメントしております。。。


 PS.
“投棄”と“放棄”は 違うと思いますが???????


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