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« 原発に関するQ&Aまとめ
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台湾でも反原発運動が盛り上がる──「福島原発被災者に思いをはせ...」と呼びかけ »

日本は「核なき世界」への先導者となるべきだ

takanoron.png 米ネーション研究所特別研究員で『核の危険の70年間:その新しい姿』の著書があるジョナサン・シェルが、3月17日付NYタイムズ国際版に「ヒロシマからフクシマへ」と題して寄稿し、「問題は、非常用発電機や安全基準などではなく、人間はその本質として誤りを犯しやすい存在だということである」と、要旨次のように書いている。

▼原発は複雑な高度技術だが、その異常は、例えば1人の作業員がスイッチの前で居眠りしていたといった、取るに足らないレベルで起きる。こうした予測が可能であったり不可能であったりする誤謬は、作業のあらゆる段階で発生する。現に日本の原子力産業では、隠蔽工作や安全規制逃れなどがさんざん行われてきた。しかし、どの巨大官僚組織がそういうことをしないのか。そして、地球上で最も秩序立っていて効率的な国である日本でそういうことが起きるのであれば、どの国で起こらないのか。

▼問題は、もう1つの非常用発電機が必要だとか、安全基準が十分に厳しくなかったとか、核廃棄物の置き場が間違っていたとかいったことではない。頼りなくて不完全な創造物である我々人類は、核分裂や核融合によって太陽のエネルギーを使いこなすのには向いていないということである。自然が攻撃する時、なぜ人類はそのトラブルと折り合いを付けなければならないのか。地球には原初的な破壊力が十分に備わっていて、我々が手助けしてもっと多くの破壊力を導入することなど必要としていない。そのような破壊力は母なる自然に任せておくべきである。

▼この新展開に照らして、原子力発電を止めるべきだという人もいる。私の提案は違っていて、この危険の特別な性質ともっと付き合っていこうというものだ。一休みしてこの問題を研究しよう。どのくらい長く?核廃棄物の一部であるプルトニウムは2万4000年の半減期を持つ。慌てることはない。その半減期のほんの半分の期間、この問題を研究すればよい。その期間中に、我々は新しい安全なエネルギー源を探すことも出来るし、また核分裂を上手に扱う知恵も湧くかもしれない......。

●当面の危機の克服の先に

 もちろん喫緊の課題は、大地震・大津波の犠牲者の救援と同時に、すでに部分的な炉心溶融を起こした福島第1原発4基の連鎖事故を何としても抑え込んでチェルノブイリのような炉心爆発を阻止することである。

 原発事故の深刻さを表す国際基準は0〜7までの8レベルがあり、過去最悪は86年ウクライナのチェルノブイリ原発の爆発で、直接の死者は作業員・救急隊員数十名だが、放射性物質の拡散によるガンなどによる間接被害は数十万人に及ぶとされ、これがレベル7である。

 次は、これも旧ソ連ウラル地方のクイツシムの軍事用原子炉及び再処理施設の廃棄物貯蔵タンクの爆発による放射性物質の大量飛散で、これがレベル6である。79年の米スリーマイル島原発での部分的な(と言っても約半分の)炉心が溶融した事故は、住民や環境への被害は少なかったとされるが、これがレベル5である。

 今回の福島の事例は、当初はレベル4とされていたが、1号機と3号機の水素ガス爆発、2号機の燃料棒露出によると見られる格納容器下部の爆発、さらに3号機と停止中だった4号機の使用済み核燃料プールの爆発・火災----という連鎖的・複合的な危機の深刻さを受けて、日本政府は18日、レベル5のスリーマイル並みと評価を改定したが、それより数日前に国際的な専門家たちはすでにレベル6に達していると見ており、ということは、我々はもはや、チェルノブイリ寸前という史上2番目クラスの原発事故に直面している訳である。

 広島、長崎、スリーマイル、チェルノブイリ、そして福島を、仮にこれまで人類が体験した最悪の世界5大核惨事と呼ぶとすれば、そのうち3つまでも日本人が引き受けたということである。まさに「ヒロシマからフクシマへ」という文脈で事の本質を捉えて、核兵器も原発もない世界の実現に向かって先導役となることこそ、次に我々がなすべきことである。

●砕け散った原発「安全神話」

 我々一般人には何をすることもできない福島の事態が、現場作業員と自衛隊・警察の命を顧みない献身的な活動によって制御に成功するよう祈るしかない。が、成功したとしても、そして成功しなければなおさら、日本人の誰もが、世界の地震の2割がここで起こるというこの列島に54基もの原発を並べた中で暮らしていこうとは思わないだろう。

 推進側の論理は、まず「絶対安全」で、それで事故や異常が起これば「想定外」と言う。しかしシェルが言うとおり、自然も、その一部である太陽エネルギーも、所詮は人間にはすべて「想定外」であって、「絶対安全」など哲学的レベルから言ってあり得ない。そのような根源的な疑念を抱く人々に向かって推進側が繰り出す最近流行の搦め手は、「原発はCO2を出さず究極のクリーン・エネルギーだ」というものだ。結構じゃないか、放射能を吸い込むくらいならCO2などいくらでも吸ってやる。

 もう1つのやや旧式な搦め手は、「そんなことを言っても、原発は日本人が使う電力の4分の1から3分の1近くを賄っていて、今の便利で快適な文明生活には不可欠だ」というものだ。結構じゃないか、原発を全部止めて貰って、その是非を1万2000年間じっくり研究することにして、取り敢えずは電力消費を4分の1か3分の1減らそうではないか。

 06年度の総発電量は1兆1611億万kWhで、そのうち原発が3034億、26%を占めている。原発分を引くと、8592億で、これは1990年の総発電量8573億とほぼ同じ。何も困ることはないのではないか。もちろん、90年当時になかったか、もしくは余り普及していなくて、今は不可欠、もしくはあれば便利という電動器具はたくさんあって、携帯電話、インターネット、IHヒーター、床暖房、温水洗浄便器、電気自動車など様々だが、その中には本当は要らないもの、他に代替可能なもの、別のエネルギー源で賄えば済むものもたくさんあるだろうし、また技術的発達で急激に電力使用量を低減させつつあるものもある。と言っても、電力を使うのは主に家庭用である民生用が3分の1で、44%が産業用、24%が運輸用。運輸用は電車や新幹線など公共交通機関だから減らすのは難しいし減らさないほうがいい。とすると、家庭と産業で使用量を4分の1減らせば、ほぼ原発なしの暮らしが実現する。

 原発が26%というのは総電力量に占めるシェアで、一次エネルギー供給全体の中では05年で11.2%にすぎない。そう考えると、原発を止めるのはますます簡単そうだが、一方ではピーク・オイルという問題があって、その分、化石燃料への依存を増やすのではお話にならない。

●食料もエネルギーも出来るだけ自給

 より根本的な問題は、食料だけでなく電力はじめエネルギー供給においても、地産地消、自給自足を目指すという文明論的な課題が、これでますます切迫することである。

 原発を止めて、その分を他のエネルギー源に代替するというだけでは、根本的な解決にはならない。電力が東京電力はじめ10電力によって"中央集権的"なネットワークを通じて供給されるのは当たり前だと思っている常識がそもそもおかしいのであって、例えば地域では、水車の復活、ミニ水力発電や風力発電や太陽光発電の建設、あるいはバイオマス循環システムの構築で電力・エネルギー需要を賄うおうとする試みは、世界でも日本でも色々始まっている。

 個人・家庭レベルでも同じで、かつての里山の主要なエネルギー源であった薪や炭の復活、風力・太陽光発電の導入など、可能な限り"中央集権的"なエネルギー・ネットワークに依存しないで暮らしを成り立たせようという挑戦が増えている。

 と、偉そうなことを言っても我が家の場合はまことに中途半端で、(1)水は隣地の湧き水を水源として借りて、それを落差を利用して浄化装置を通じて8トンのステンレスタンクに貯め、それをポンプアップして使用し、排水は大きなコンクリート槽にバイオチップを満たした中を通して真水に還元するという、一応敷地内完全サイクルを実現しているのだが、上水のポンプアップと下水の浄化のためのエア注入と汚水循環には電力を使わざるを得ない。(2)ガスはプロパンで、これも外部から配給されるには違いないが、中央集権的な都市ガスに比べれば災害等には強い。(3)メインの暖房は薪ストーブであるけれども、(4)それだけでは不安なので、電気床暖房と冷暖房兼用のエアコンは設置してある。今は1日1〜2回、1回に3時間40分の計画停電があり、そうでないとしても節電を心掛けて薪ストーブだけで暖をとっているが、こうなってみると、薪ストーブと約2年分の薪ストックという暖房方式の超アナログ性が心の支えにさえなることが分かる。

 実は5年前、今の鴨川山中の家を建てる際に、大型の太陽光発電装置を設置して電気も出来るだけ自給して、電力ネットワークへの依存を減らすことを検討した。が、すでに建物の着工後で、それだけの重量のものを屋根に乗せるには構造上、心配があると建築家から指摘され、さらに屋根が西向きで、南向きの場合と比べてだいぶ発電効率が落ちるので、設置コストとの見合いで余りお勧めしないと太陽光の専門業者から言われて、断念した経緯がある。今になれば、設計段階からコスト増は覚悟で太陽光を導入しておけばよかったと悔やまれる。

 1つの技術的な希望は、すでに普及が始まっている燃料電池である。電池と言うがこれは水素発電機で、プロパンと同様、水素ボンベそのものは外部から配給を受けなければならないとはいえ、電力ネットに繋がっている訳ではないので、遥かに自立性は高い。家庭だけでなく事業所も病院も公共機関も、すべて1軒に1台の水素発電機を保有することになれば、格段に災害に強い町や村を作ることが出来る。

●金さえ出せば何でも手に入る?

 食料も同じで、大規模流通機構に依存している限り安心はない。TPPに関連して最近ますます国の食料自給率が大事だと叫ばれているが、第1に、そもそも農水省がカロリー・ベースで計算して「39%」と言っているのがおかしくて、金額ベースでは現在でも70%の自給が確保されている。第2に、大都会、例えば東京都の自給率はカロリー・ベースで1%、大阪府2%、神奈川県3%で、これは仮に国の自給率が100%になっても変わることがない。ほとんどすべての食料を他県か他国の生産とそれを途切れることなく運び込んでくれるはずの大規模流通に委ねていることになる。昨日も鴨川市内のスーパーで、商品棚が空になるのも構わず、1人で40個ほどの缶詰を籠に入れてウンウン言ってレジに運んでいるオジサンがいたが、都会ほどそのような醜い買い占めが起きるのは、足が地面に着かないような暮らしの中で食という命の根源を他者に任せていることへの潜在意識的な不安があるからだろう。

 我が家は、肉や卵や魚は店で買うし、時にはネットでお取り寄せなどして小さな贅沢も味わうけれども、米は20年来自分で作っているし、もし不足すればどこで分けてもらえるか分かっている。味噌は鴨川自然王国で大豆から植えて毎年醸造しているし、年にもよるが、気が向けば自分で酢や醤油も作る。家ではそこまではやらないが、近所には海の水を汲んで自分で塩を作っている人もいたりする。野菜は王国からの宅配と自家用の小さな畑で大半は賄えるし、それ以外にも、庭の蕗の薹がそろそろ食べ飽きたという今頃は野蒜やクレソンも延びてきて到底食べきれない。今年は椎茸もたくさん出た。冬の間に淡竹の竹林もだいぶ綺麗にしたので、5月後半になると筍がたくさん獲れるだろう。一度、近所の人に「天麩羅パーティー」に招かれて、エビもアナゴもなくて、「何の天麩羅ですか?」と訊ねると、「今日はこの庭の葉っぱを片端から食べる」という。20種類ほどの葉っぱがみな食べられて、中でもスギナの天麩羅のおいしいのに驚いて、「そうか、人間、こうやって生きていくことが出来るんだ」としみじみと思ったこともあった。なので、食料に関しては、いざとなれば肉と卵と魚をしばらく我慢すればいいという程度で、全くと言っていいほど不安がない。

 もちろん誰もが大都会を離れて暮らせる訳ではない。が、金さえ出せばエネルギーも食料も手に入って当たり前という常識の嘘を取り払わない限り、安全安心な暮らしはいつまでも手に入らない。まず原発を止めることが、そのことを考え始めるきっかけになるのではないか。▲

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ご理解・ご協力のほどよろしくお願いいたします。

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●食料もエネルギーも出来るだけ自給

 より根本的な問題は、食料だけでなく電力はじめエネルギー供給においても、地産地消、自給自足を目指すという文明論的な課題が、これでますます切迫することである。
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TPP推進派の人たちは今更農業なんか必要ないとの考え方ではなかった?


お金を出せばどこの国からも買えると・・・・。


材木の自由化になって、今の林業はメチャクチャ。30年前の材木価格の約1/10。

少しばかり間伐して山を手入れしても、国の補助金でやっと僅かなお金が入る。

小生が学生時代には少し間伐すれば三人の兄弟が同時に下宿をしても大学に行けた。

本当に今の林業は大変だ。いつの日か農家もTPP推進で今の林業の様になるだろう。政治家や評論家は甘い事を言われるが今こそ食料の自給について真剣に考え直す事だと思う。


この浜松でさえ、スーパーからトイレットペーパー、ティシュペーパー、米やペットボトル水が消えた。

お金があっても品物が無ければ買えない。どこかに隠す業者がいるかも知れない。その内に値上げして出てくる。

最近、知人が人工芝を注文したが、問屋にもないと断ってきたそうです。 4月になると品物が入ってくると・・・・。何かミエミエ。

冒頭、稼働し続ける全国の原発がいつまた同じような災害に遭うのではと危惧される。地震大国日本はいつでもその震災と隣り合わせである。大規模地震が起き、また冷却機能喪失事態が生じて、また想定外の地震でしたでは、もはや済まされない。日本には住めなくなる。

福島原発の深刻な事態から我々が学ぶ教訓は、地震対策の安全基準、津波対策の安全基準を国民代表(完全中立)も参加し、ステークホルダーとよく耳にする「利害関係者」が一同に会する「合意形成」の場を国が設定することを提案したい。今後は合意が得られ無ければ、原発建設など有り得ない。

地震対策の安全基準、津波対策の安全基準の設定を科学技術の肩書きだけは錚々たる第一人者の専門家にまかせた結果が今回の取り返しのつかない福島原発の悲惨な事故(不作為が招いた「人災」)である。

「想定外」とか「想定以上」とかは、責任回避を取り繕う、ごまかしの言葉以外のなにものでもない。

国民の安全を徹底的に優先した対策を打っていないことが露呈した。安全対策の経費の方が国民の命の安全より優位になっているということである。悲惨な事故が一度起こると、犠牲になるのは、いつも弱者の地元住民なのだ。

原発建設予定地の地元の首長が国や電力会社から札束、ハコモノをちらつかされて、容易に原発建設に妥協してしまっているのが現状です。事故が起きてから、首長はそんな話は聞いていない、原発は多重防護されており安全だ、耐震対策、津波対策も万全だと言っていたではないかと怒り出す。当局は想定外だったと云う。醜い責任のなすりつけあいである。これがいつも繰り返される最悪パターンである。原発が安全な施設でないことがはっきり自覚、認識できたのでないだろうか。

これまでのように、政府、資源・エネルギー庁、原子力安全委員会、原子力安全・保安院、東京電力(もちろん全国10の電力会社:北から挙げれば、北海道電力、東北電力、東京電力、中部電力、北陸電力、関西電力、中国電力、四国電力、九州電力、沖縄電力(沖縄のみ原発は未建設だが建設予定がくすぶっている))等による地震対策の安全基準、津波対策の安全基準設定を任せることは到底出来ないということがはっきりした。

東京電力福島原発は、なんと「津波高さは5m迄の津波対策」であった。明治時代でも該当近隣地域で最大38.2mの津波を経験していたにも関わらず、このようなお粗末な対策で日本中だけでなく、世界中のきれいな環境を放射能放出で汚染垂れ流しの惨事を招いており、今なお、猶予ならない状況が続いている。今後、何年、何十年と放射能汚染を放出し続けることは間違いない。

これまでの、イケイケドンドンの原発推進に対する新聞、テレビ等のマス・メディアの責任も甚大である。これも、検証しなければならない重大な問題点である。また追って議論したい。

原発に絶対安全などという話は有り得ないことがよくわかった。日本だけでなく、世界が原発を重要なエネルギー源として位置づける限り、今後も第二、第三の福島原発の悲惨な事故を受け止めなくてはならなくなる。このようなことは決して、決して有り得ないことは明確だ。スリーマイル島原発事故、チェルノブイリ原発事故との比較が為されるが、我々は十分な教訓を引き出し得ていないことも明確になった。子、孫以降の世代に安全安心生活を引き継ぐ上で、原発の段階的廃止以外に対策はない。

今後のエネルギー源は持続可能な自然エネルギーをベースにした分散発電ネットーワクインフラ構築へ資源を集中させることが課題である。すでに石油、ガスも生産ピークを過ぎ、当然ながら、我々のライフスタイルも見直さなければいけない段階に入って久しいのであるが。

このような状況下で、日本のエネルギー政策が原発族議員と原発偏重の官僚主導であったことを見せつけられ、日本の議会制民主主義が形骸化し、機能していないことを認識させられ、なんとか国民の声を反映させるため、脱原発のため力量ある国会議員を国政の場に送り届けねばと思う今日この頃である。

高野 様

久しぶりに、高野様の納得できる論説を拝見いたしました。

原子力発電は、当初からその危険性は指摘されており、設置地域には巨額なお金が注ぎ込まれたと理解しています。端的に言えば、一抹の不安を抱えながら、地域振興を目的に、地域ならびに住民は、発電所を誘致承認したのではないでしょうか。

政治家、官僚、企業の鉄のトライアングルの所産であって、マスコミに巣食う御用学者から出てくるいい加減な安全データーを鵜呑みにし、利権に飛びついた結果がかくも無残な現象を招いてしまったのです。

野党、特に自民党は地元に根を張った利権政党であって、今回の事故対策について言葉をさしはさむことは出来ないでしょう。

原子力発電の非常時対策不能による危険性は当初から指摘されており、話題になっていたが、資本の論理、市場の論理、電力供給能力、コストの低減が優先された結果の当然の人災事故に過ぎない。

大企業優先の論理を推し進めた結果の破綻であり、民主党は、政権交代の原点である企業より国民第一の公約に立ち戻るべきである。

然るに、もし菅政権は自民党亜流政権化し、原子力発電を禁止する措置が取られないようであれば、国民の支持を全面的に失うのではないか。

以外にも東京の我が家は食糧買い占めなどしませんでしたし、そういう方を見たこともありませんでした。計画停電で一時的に必要な物資は購入しようとする人が単に集中しただけで、少しづつ日常に戻るはずです。だいたいガソリンは一般人はそもそも買い占めなんて出来ません(笑)我が家は生協の宅配をしていて、例えば野菜不足の時やある特定の果物が不足の時にもかわりのもので、補うような宅配システムになっております。今度の震災でも生協の宅配は普通に届き関心しました。テレビや官邸だけが、買い占め買い占めと怒鳴りまくっています。近所の生協店舗では、確にカップラーメン等は一時的に不足してますが、買い占めなんて起きてないですよ。だってお一人様○個までなんですから。ただし、我が家の町田市では地震当日にいきなり7時間の大規模停電が起きたので、生協店舗はその日の冷凍物を廃棄したようです。また、計画停電は、店舗独自に作るパンや焼きそばやコロッケ等を停電タイミングを見て作らないと、下手をしたら全部捨てないとならないんようです。首都圏の計画停電は恐ろしいと思いました。

 高野さんが、そこまでエコロジカルな生活をしているとは、知りませんでした。さすが、哲学科出てるだけありますね。私も、いろいろあって、初代型のプリウスを売り払って以来、地に足の着いた自転車(個人的には、「アクチン-ミオシン型 汗冷2脚有機エネルギーシステム」と呼んでいる。トヨタが1000年かかっても到底作れないクリーンシステム)と、歩行生活となり、不便さを心配しましたが、なんらかの諦め的受容と共に、地面とつながったという開放感、高校時代ぐらいのみていた世界に戻り、若返った感じを持ったものです。
 今回の福島原発の事故をみて、その背景にある高野さんの述べているような、人間が原発を運転すること自体に潜んでいる原理的な困難(人的要因によるミス、人間に予測できぬ自然災害の存在)や、さらに、その困難を、さらに困難にするような、原子エネルギーの生む利権をめぐる巨大な政治的、司法的な、危機管理や安全性についての議論を封じ込める動き(我欲に目がくらむという、これもある意味、人的要因によるミス、管理する側、上に立つ側の、すぐに結果としてはあらわれないミスであり、裁くものもいないため、より根源的致命的なミス)の存在から、核エネルギーを人間が扱うことの「業」の深さを思い知らされた気がしています。原発に批判的であった福島県元知事の佐藤栄作久氏にまつわる死者がでることも恐れぬ、特捜の動きも、その「業」の伏線上にはあるのでしょう。管理する側にいる人間の、管理されない業が生み出す悲劇という点では、JR西日本の福知山線事故も同じような構造をしていると思います。
 「仏教」の知足思想に学んで経済を考え直せるのではないかと言い出した欧米の経済学者 シューマッハーがいたことを思い出します。(「シューマッハー教経済学の論理とその構造」高崎経済大学論集
http://www1.tcue.ac.jp/home1/k-gakkai/ronsyuu/ronsyuukeisai/43_1/43-1takeia.pdf.pdf)
「個人が利益を最大化する」という、人間の業の深さによる性悪な問題や、人間存在の自然との縁起性を無視した経済学の前提自体が、破綻したのではないでしょうか。リーマンショックにいたった諸問題と、その帰結も、それを証明しています。
 本物の深刻な危機が来ないと、日本の社会システムはなかなか生まれ変わらないと思いますが、それが、オイルピークも避けられず、温暖化も待ったなしの状況になってきている今なのではないかと、私も思います。戦前は同士だったドイツはとっくに先にいっていることをみると、日本の統治機構は、戦前がいいとはいいませんが、戦後には、あまりに換骨脱退されてしまったのではと思います。

今回の高野論文には賛同します。


原発の危険性は理屈でわかって、それを説得しようとしても、「安全神話」の壁に妨げられてきました。

ゼロからの出発ができることを願いたいですね。

今回の論説、題名だけ見れば同意できますが、論説の内容が題名とあまり関係ないのが残念です。
私も被災者の一人ですが、同時に福島原発で発電した電気の受益者でもあったので、今回の事故は非常に難しい問題を投げつけられた気がします。短期的な視点と長期的な視点で考察しなければならないでしょうが、短期的に見れば例え使える電気が減ったとしても、放射能汚染が起こるかもしれないリスクに身をさらされながら生きるのはまっぴらゴメンなので、速やかに全ての国内の原発は停止して廃炉して頂きたいと思います。

>砕け散った原発「安全神話」

「危険が証明されなければ安全」
というような危ういものを、営利に凝り固まった人間が、神話?にまで祭り上げて造り捲くったつけを一体誰が払うのか、というテーマの論議は本件が終息(しないかもしれない・・)してからになるが、ことの顛末がゆくところまで行ってしまったら、人民裁判も必要となってくるかもしれない・・

そうならないことを只只管祈るのみである

高野さん

久しぶりに全てが納得できる論説を熟読させて頂き有難う御座いました。

核なき世界への提言。ごもっともです。これで3度も核(放射能)の恐怖を日本国民が味わうことになりました。

http://www.asyura2.com/11/genpatu7/msg/353.html

未だに阿修羅のトップページで見られる原発反対論者の広瀬さんが語る論説を国民全てが見てみるといいでしょう。

もちろん、話す事柄全てが事実だと言うつもりはない。心配ないという推進論も合わせて見て聞いてどちらが正しい話なのか?矛盾点は双方無いのか?

そう、小沢さんの冤罪事件と同じで両方の言い分を見て聞いて各人が自分自身で判断すればいいのです。

昨年12月のリックさんのチェリノブイリ事故への論説で入れたコメントの事柄が現実問題となってしまった。

http://www.the-journal.jp/contents/rick/2010/12/greetings_from_chernobyl.html#comments

地方への原発推進に絡み、利権を得てきた政治家、官僚、建設会社、地元自治に関わる人々は、今の福島の事故報道を如何考えてるのだろうか?

当たり前だが、絶対安心だと言うのは大嘘であり、自然災害に対しては完全な物は皆無だろう。

そしてその嘘が露呈した今、何を言っても醜い言い訳であり、納得できる言葉等ない。

もちろん被害を最大限に抑える努力は言うまでもないが、今後の電気発電事業をいったい何に転換すべきなのかを原発反対派の意見を多く入れて真剣に議論してほしい。

太陽光は私の友人も営業として頑張っていて話を何回も聞いてますが、天候が不安定で雪の降る北陸であっても有効だそうです。

原発にかけてきた途方な大金をこの分野に回していた方が安心安全でクリーンな発電事業が出来そうな気がしています。

高野様

まったく賛成です。
ただ当面どうするかですね。
福島第一の冷却状況が安定したとしても、首都圏の需給ギャップは変わらない。
第一第二ともどんな楽観的な原発推進者であろうとも3年は第二も含め稼動できるとは思わないでしょう。
この間非常に厳しい状況が続くと思います。

そしていきなり国内の原発を止めるといったってそれも不可能。
まずは当面の電力会社体制で周波数変換所の能力増強を図る。できれば1000万kWくらいまで。
(早くて5年?)
そして同時に電力会社の再編成、すなわち発送分離を検討して実施していく。
そして自己完結型の分散型電源社会を目指す。

太陽光、太陽熱、小水力、バイオマス、その他・・・
もちろんスマートグリッド網構築は不可欠。
クリーンエネルギーの観点から言えば太平洋岸に広く分布するメタンハイドレードの実用化にかなり期待しているのですが・・・

モデル事業による評価と制度設計どうする?コスト負担を誰がどうする?という問題を解決しなければなりませんし、困難なトライアルではありますが10年後目標くらいに何とかならないか?と夢想しています。

もっとも電力需要とリスク回避の観点から首都機能移転、分散も考えなければならないだろうと思っております。

まったく賛成できません
というより、書かれていることが自分の思い込みだけです。
まず、広島、長崎は原子力災害ではありません。人間が決断をしてその状態をつくったのです。アメリカ人に広島から福島などと言う権利はありません。
また、哲学科だからどうしようもないのかもしれませんが、まったくすべてのものを調達するすべがかかれておりません。
おしえてください。
水素の調達の仕方を
りんの調達の仕方を
てんぷらをするための油と火の調達の仕方を
エネルギーの地産地消の仕方を
何も考えないで適当な事を書いているだけです。
以上

今更に、
原子力発電所が人智の及ばないもの ということ、
誰もがわかっていたことでしょう。
安全なら 東京都内に作っていた。

原子爆弾の反応をコントロールして熱を取り出し、発電を行う。
原子力発電所とは 放射性物質を「絶対に外に出さない」 という宣誓の下に許されたものです。


出たのですから、
日本経済を 国民生活を犠牲にしてでも 廃止するしかありません。


この度の 東京電力の対応の仕方を見れば すべてが凝縮されております。。。

誰も言い出さないから敢えて言わせてもらうが、風力や太陽光より効率が良く、かつ、石油や原子力の代替に成りえるエネルギーなら既にある

私はマグネシュウム循環こそ、そういうエネルギーだと推奨したい。
http://www.mgciv.com/blog/what-is-magnesium-based-energy-cycling.html

原発反対の人間にとっては今回の震災で『そら見たことか』と鼻高々に思っているかもしれない。

だが、それは完全に間違っている。

今回の震災は、誰もが予想していなかった規模であったことは疑いようがない。

そこで問題になるのは、原発に反対している人間が想定しているリスクは、『あらゆる事象』ということである。

一方、原発を推進してきた人間が考えているリスクは、『過去の事象から導き出される、最も合理的な事象』を限度としていることである。

たしかに、あらゆる事象を想定してリスクを回避できるのであれば、それに越したことはない。

しかし、そうであれば、火力発電であれ、水力、風力発電であれ、
なぜこれらが安全であると言い切れるのだろうか。

原発反対の人間が、今回の震災の結果から『原発は危ない』というロジックを導き出すことは、ある種、人間の合理的予見性をまったく考慮に入れていない。

今回の震災で、今後原子力発電所の建設が一段と困難になることは容易に想像できる。

しかし、だからといって、これまでの原子力政策における防災計画が不十分であったと言い切ることは、あまりにも軽率である。

申し訳ないが今回の事情は推測不可能だったレベルではありません。日本が地震大国なのはよく知られていますし、福島原発の立っている地が電力会社が想定したより高い津波が押し寄せた記録が残っています。

それに間違わないで下さい。火力は止まっても電気が途絶えた被害しか出さないが、原子炉は絶えず冷さないとメルトダウン起すのです。

ダムの決壊で大勢の人が死んだとしましょう。生き残った人には被害は及びませんが、放射性物質の内部府縛をした人はこれから苦しみが襲うのです。汚染された土地の作物は何十年も食べられないでしょう。

どこかの学者が言っていたが、
国が国民に金を貸す。
国民は、その金で太陽光発電の設備を各戸に設置する。
その発電と売電により得られる利益、つまるところ、各戸の支払う電力料金の減少額を国に借金の返還として返戻する。

100兆円あれば、とりあえず1000万戸くらいは可能だろう。
しかも、あげるのではなく、貸すのだから、金はかえってくる。
10年をかければ、5000万戸くらいの事は出来るのではないだろうか?
更に、ナス電池を活用すれば、電力会社からの給電の必要性もかなり低くなるだろう。

素人考えだが、いけるように思える。

事ここに至って、原発のメリットを説くような馬鹿はほっとけばよい。
早く、日本中の原発を停止させなくては。
六ヶ所村の「毒」を、ガラスにでも封じ込めて、深い深い地下深くにでも閉じ込めてしまわねば。
事は、日本だけではない。
世界的な規模のものになってしまうのだ。

「 じゅげむ 」 氏のコメントは, 科学の必然的自己発展性という観点からは, 極めて妥当な意見である。 問題はそれを利用する政治的・経済的体制であって, たとえば, 核兵器が大量に保有されている現状を考えるならば, 小学生でも理解できる論理である。 原発それ自体は, 科学者の叡智が最高度に発揮され, 結集されている文明の機器であって, その事実を否定し去る事はできない。 政治的・経済的体制と科学そのものを, ごっちゃにする思想性の欠如した感傷的な考察は, 正当な議論ではない, と言っていい。  

先のコメントに一言付け加えるならば, 日本の政治的・経済的現状では, 原発は今回の惨事のように, 不測の事態を招く恐れが大であり, すべての原発を緊急に停止した上で, 再検討は必至である, と言わなければならない。 

じゅげむ(2011年3月21日 04:38)氏

> 原発を推進してきた人間が考えているリスクは、『過去の事象から導き出される、最も合理的な事象』を限度としていることである。

 論旨には 賛同いたします。
 ただ一点、放射性物質の飛散を 完全にシャットアウト出来なければ
 原子力エネルギーを 人類は扱うべきではないということ。

 人類はまだ放射性物質を 無害化する技術を持っていません。

 > 『過去の事象から導き出される、最も合理的な事象』による ”知識”
 でも 今回の惨事に初動対応できずに、現在にいたりました。
 
 

 主として 東京のような大都市圏で使われる電気を得るために 福島県に設置された原発。
 それが 今回福島県近隣に 悲惨な災害を押し付けていることも 考慮していただきたい。。。
 
 

「想定外」の不幸

確かに未曾有の原発危機ではあるのだが、
なにも原発の理論やエンジニアリングの敗北ではさらさらない。
ただ単に「想定外の津波」、、おそらく「地震」ではない、、に襲われて、電源系が損傷した。
客観的に述べると、このようになる。

だから、それ自身「原発否定」には結び付かず、「想定外」の検証と批判にしかならない。
もしも有史以来(そんな大げさでなく)の最大津波を40メートルの破壊力を想定していたなら、防げた話であろう。そしてその損得勘定も今回の「もしも」の時の損害賠償と保証を考えれば、「想定外」対策費の方がはるかにコスト安であったのではなかろうか。

この論法を「原発推進論者」に利用されるのは本意ではないのだが、
もんじゅやらのMOX燃料課題などを世界に先駆けて取り込もうとしている日本の原発政策の是非論は、今回の事故事象とは、異なる次元で根源的に議論されるべき課題である。

願わくは「まともな正論」を戦わせる原発論争に発展して欲しいものである。

あくまでも、全くの素人の発言です。

想定外かどうか知らないけれど、
結果だけが全てだ。
更に、現在でも、海水を流しての冷却作業を続けているが、
はたして、原子炉及び、燃料のプールは、制御できるのでしょうか。
冷却水を回流させるのだそうだが、いったんは言ってしまった海水は「塩」の結晶としてパイプの正常な作用を妨害するのではないか。
バルブを損壊してしまうのではないか。
何もかも、全然終わっていない、今の段階での論議ではあるが、
日本の原発を、以後、如何にするかを、真剣に論議しなければならないのではないか。

私は、全てを停止するべきだと思う。
高野さんに賛成だ。

内閣府原子力委員会、安全委員会の専門委員の武田邦彦教授は今回の福島原発震災に関して、とんでもない重大な根本事実を暴露しました。これまでの原発の地震に対する安全性が完全に裏切られたことになる。

武田邦彦教授より<原発緊急提言04 > 2011.3.14
http://www.youtube.com/watch?v=zI3cRg3Mgjc&feature=related


武田発言をかいつまむと、「原発は地震で壊れないと思っている方が多いと思います。そのように作られていると思っている。これが決定的に違うのです。実は日本の原発は地震で壊れるようにできているのです。こんなことをいうと本当に申し分けないのですが、事実は事実なんです。

要するに日本の原発は震度6くらいで壊れるのです。中越沖地震で東京電力の新潟の柏崎刈羽原発も震度6、今度の福島原発の震度も6(6強かも)である。両方とも壊れました。日本では震度6の地震はよく起こる。この10年間で13回起きている。約1年に1回おきている。それがたまたま原子力発電所の近くだったら原発は壊れるのです。100%壊れるのです。予定通り、日本の原発は震度6がくると壊れる。

壊れれば放射線が出る。出ても人体に影響ないからいいじゃないかなんて言ってはいけない。原発が壊れるのは怖いことだから、震度6で原発は壊れるなら壊れると最初から、はっきり言うべきだと私は言ってきたのです。今度もその通りになりました。ポンプが壊れたり、いろんなところが、耐震基準が震度6で壊れるように作ってある。国が震度6で壊れていいというから、それで作っているのです。酷い言い方だが簡単にいえばそういうことだと理解すればよい。

ここのところをウソをつくと理解できない。今の設計は震度7なら震度7、震度6なら震度6、震度5なら震度5で壊れるようにつくってある。驚いたとか、意外な事実だとか、想定外でもない、震度6で壊れるようにできているのです。これは国の責任で行われているのです。委員会の専門家は皆、知らされており、知っています。」

地震大国日本で、なんという恐ろしい原発設計基準だ!!!
日本の原発の耐震設計基準は全面的に見直しが急務である。福島原発震災は柏崎刈羽原発の教訓が全く反映されていないことになる。また国の津波対策基準もデタラメであろう。これも早急な全面的見直しが必要である。しかし、それにしても原子力安全委員会(現在の責任者は委員長の班目春樹(まだらめはるき)元東京大学教授)は全く責任放棄したも同然で、組織のていをなしていない。なんというデタラメな無責任行政府か。すべて、業と癒着した無責任官僚主導でなされている。

暗くなりますね

いくら自然現象の全てを「想定内」に収めたとしても「日本の原発耐震設計基準は震度6」さんの指摘からすれば、人為的な部分をすべて「想定内の安全」にすることは永遠に100%不可能。
原発というものは、科学技術の研究ではなく、実践オペレーションなのだから、いくら理論が正しかろうと、運営する人間に落ち度があれば、カタストロフィーに至る。

その他のことも含めると、「肯定」するのは至難の業である。

東電は「倒産」で逃げても、被曝被害は永久に残る。

<元株や> さん

高野孟氏が支持して, 支援する菅直人内閣一派には, 日本の原発を停止させる事はできませんよ。 おわかりのはずですがね。 

> 原発は複雑な高度技術だが、その異常は、例えば1人の作業員がスイッチの前で居眠りしていたといった、取るに足らないレベルで起きる。


理解できないなら黙っておく方が良い。
馬鹿を晒して笑われる必要は無い。

高野孟さん
TheJournal別板へのコメント流用をご容赦下さい。

此の高野論説の標題「核なき世界‥先導者になるべきだ」が含む挑戦心には全く同感です。然し、その客体が「核兵器」だけではなく「原子力の平和利用」まで含めて論じる無辺の「広さ」は付き合い兼ねる。あの理想主義者オバマ大統領が言葉を選んで「核兵器に限定。自分が生きている間ではないだろう」と現実的にメッセージを発しているのに‥。
原発反対が正しかったのだ!自給自足だ!自然が一杯だ!という主張は決して否定しません。然し、其れは高野さんや私を含めて現役を終える世代にして出来ることだと思う。其れは真にThinkLocal, ActLocalな所業だろう。普通にThinkGlobal, ActLocalに考えれば、21世紀の時代に於いて一億二千万人国民の大半はそのタイプの生活では豊かさは得られまいと思います。

以下は或るNetDebateSiteで見付けたもの。発信者は豪国の原子力専門家(当然自称です)。
it would appear that Tokyo Electric's management has become complacent over the years and if the Government's regulatory prosecution has taken their eye off the ball then this is the right mix for trouble

私は従来、原発について賛否入り乱れる中で、腰ダメで「危険は大きいが、原子力技術の進化が何日の日か大部分(全部は非現実的)の危険要素を解消し有用な技術と事業になるだろう。其れまでは、危険と付き合わざるを得ない。屋上屋を何重にも重ねて、巨額のカネを投じてBackUpを重ねて安全安心を買うことだ」と考えて来ました。現在も未だ其れを捨て切れてはいない。

然るに、私がビジネスを止めた後の過去2-3年、何度かNPTや原子力平和利用に関する国際会議を傍聴して感じたのは、世界の核技術者たちは技術問題を弄んでいる、問題を解消する気概がないことでした。技術者たちがその緩い状況なら、核燃料サイクルも廃棄物処理方法の端緒でさえも出来る訳はない。肝心の政治家達や行政官などの文民は専門性に欠ける故に手も足も出ず、問題解決に一切近付いてさえいないのではないか?と。現在の技術問題を彼らの「生活の糧」にしているとは断じて言わないけれども‥。
其れに加えて、今回の重大事故。事故の切っ掛けは間違いなく天災だった。然し其れに続いて、人間の性(さが)の劣った部分が人災を膨らませて、重大な事故にして仕舞ったのではないか?という仮説を持つに至っています。
先日来の議論の東電社長は、此の【人間の性の劣った部分】を象徴的に露見させたのだと。

私は極く私的なこと乍ら、路線変更を強いられています。然し、枝野某の如く俄かに「原発推進派困難になった」などと一面的で短絡した思考は取り得ない。現実は多面的であり複雑なのですから。
例えば、人類が20年後にエネルギー源の転換に成功し脱化石脱原発を果たしたと想定しても、其れまでの間は、人類は自分を騙しながら自制しながら化石も原発も利用し続けることになるだろうと。
草々

月下獨酌殿

作業員がスイッチの前で居眠りしていたために起きる惨事は, 原発だけに限りません。 火力発電にも水力発電にも起こります。 念のため。

原子炉では再臨界へのカウントダウンが始まろうとしているかもしれないのに、「光明が見え始めた?」とか宣ってしまうスッカラ菅に、安堵する人口の方が多いという「二八国家」の悲哀はことここに至っても浮き彫りになっているようだ・・まともな国なら、首相下ろしの大合唱が湧き上がる

この国の手に負えなさは核分裂連鎖反応に勝るとも劣らない

少なくとも、直ちに全てを停止する方向へ舵を切ることは当たり前の話だが、今は目の前の絶体絶命の危機それだけが心配である・・

東電の幹部は現場に赴き、整列して命を賭した沈静作業を見守るべきだろう・・あくまでも事と次第に依るが、”未必の故意による過失大量致死罪”に問われる連中である(個人的見解ではA級戦犯にも匹敵する・・)


(日本人を止めた)無国籍人( 2011年3月21日 19:08)氏
> 其れに加えて、今回の重大事故。事故の切っ掛けは間違いなく天災だった。然し其れに続いて、人間の性(さが)の劣った部分が人災を膨らませて、重大な事故にして仕舞ったのではないか?という仮説を持つに至っています。
 
 

 この度、福島原発の立地を見て感じること。
場所も そ~なんですが、施設自体が海に面して無防備すぎる印象があった。

福島原発設計 元東芝の技術者 「津波全く想定せず」(03/17 10:22)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/278890.html
1号機の設計は、日本側に経験がなく無知に近い状態だった。

天災とは言い切れない現実もあります。
不信が拭えないのは 完全にコントロール可能なものであれば、送電ロスを考慮すれば、東京都内に立地すべき それが経営効率。。。

 
 


月下獨酌( 2011年3月21日 15:53)氏
> 理解できないなら黙っておく方が良い。
> 馬鹿を晒して笑われる必要は無い。

きちんと理由を説明できないのなら、退場されるほうが・・・

 
 


Mr.Southpaw(2011年3月21日 19:57)氏
> 東電の幹部は現場に赴き、整列して命を賭した沈静作業を見守るべきだろう・・

何の知識もない&智慧(ちえ)も持ち合わさない上層部でも出来ること。
 現場のものは 勇気付けられます。
ピラミッド社会の上司とは 現場をきちんと認識すること。。

良心派さん

その通りでしょう。
おそらく、政治を直接動かそうと言う人間にとって、原発利用を「止める」という事は、なかなか選択しずらい事だと思います。
小沢一郎にしても、それは一緒でしょう。

理屈でやろうとすれば、原発推進を言う人には、とてもかなわないと思います。

これは、感情の問題として、「原発は、もう止めよう」というしか、止める手段は無いモノと思います。
何か反論が出るたびに答える必要など、どこにも有りません。

原発はいらない。
これしかないのです。

40年前から、ずっと一緒です。

高野さん、こんにちは。

ご意見に全面的に賛成です!!

原発やめましょう!!

街中が明かり落として暗い感じですが、もっと暗くしてもいいと思います。いままでが明るすぎたと改めて感じます。

燃料電池いいですね!
プロパンがこういうときに強いように、燃料電池も家庭に普及するとよいですね。

今回の大地震で、改めて感じたことは、「大地の声を聞け」です。

私は東京在住の者ですが、この生活は、あまりにも、大地と切り離されすぎている、そのことを都会に住むものが気づくきっかけにしてほしいと強く願ってしまいます。

われわれは自然の一部であり、自然を尊重し、自然とともに生きることが、遠い未来を見据えた、もっとも大事な指針であり、それをもとに生き方を探求することが、いま求められているように思います。

今回の震災での事故をもって原子力発電は危ない、ということではなく、原子力発電は元来、人間にとって危険なものなのだ、ということだと思います。
まず、原子力という言葉自体が不正確です。厳密に言えば「原子核力」と言うべきです。原子を構成する原子核自体が分裂し、その際欠損する質量そのものがエネルギーに変換される現象が核分裂(原子核分裂)、原子核同士が融合し、その際欠損する質量がエネルギーに変換される現象が核融合(原子核融合)です。質量がエネルギーに変換される割合(公式)はアインシュタインの式と呼ばれています。膨大なエネルギーが解放されます。地球上の現象で質量が欠損してエネルギーに変換される、というものは皆無では無いかも知れませんが、ほとんどありません。特に生命現象の殆どは、電気的な相互作用(つまり原子、原子核と電子の間に働く力)で成り立っていて、原子核の力とは相容れません。いわゆる放射線が生命体にとって脅威なのは、原子核自体に変化を起こす可能性があるからです。生命体を構成する原子の、さらにその構成要素である原子核が作用を受け、他の性質に変化させられると、それまで生命を維持してきた機能そのものが根本的に破壊される「可能性」が生じます。それが原子核力の脅威です。という訳で、この力は地球上のすべての生命体にとって「脅威」なのです。
「原子力」の脅威はそこにあります。決して今回の災害での事故が脅威の実証ではありません。
ただ、人間は、宇宙の神秘である原子核力の存在を知ってしまいましたので、それの探求を止めないでしょう。脅威、危険を承知でそれの研究、応用、実用化、という道に進んできましたし、これからもそういう方向が止むことは無いのでしょう。ある意味人間の「性(さが)」なのかも知れません。
ただ危険性を十分認識して、間違っても「原子力は安全」などと言うウソは言わないでいただきたい。また「完全にコントロール可能」などというウソも言わないでいただきたい。
最後に、地球温暖化に原子力は有効、というのも、物理学の常識であるエネルギー保存則から言って、おかしなことです。(原子核力はその本性から言って、質量をエネルギー、とくに熱エネルギーに変換するものです。結局地球上の熱エネルギーを増加させます。まあ、地球は孤立系ではないので、あまり厳密な話しではありませんが。)

 
東京電力がやったこと

・原発はクリーンです→放射能まき散らす
・原発は安全です→20キロ以内の人は早く逃げてください
・原発は安定供給できます→計画停電中
・廃炉にしたくないので自力で解決します→さらに被害拡大
・健康に被害のないレベルの放射能です→野菜出荷停止
・人体に影響のないレベルの放射能です→官邸に全面撤退を打診
・リスク管理は万全です→緊急冷却装置うごかず
・16cmの格納庫で安心です→水素爆発で破損
・これ以上被害はないと信じます→大量の使用済み核燃料の存在発覚
・ばれるの怖いので隠ぺいします→多くの人が被曝
・計画停電します→被災地域も停電
・計画停電します→計画外のところが停電
・福島への志願者募集→37,000人の東電社員のうちたった20人
・叩かれるのが嫌→就業時間にmixiやツイッター、ヤフコメで東京電力への擁護活動
・賠償したくない→1兆円超の税金投入で国民負担

中性子さま

>地球温暖化に原子力は有効?
たしかに考えてみれば、化石燃料燃焼はCO2を生み出し、地球温暖化に結び付く
核燃料は、CO2は出さないが、温暖化に至るは間違いない。

とすれば、そもそも人類が「熱」を使う、出すことがいけないことなのだ!
だから「文明生活」を捨てよう!まじめな話。
とすれば「停電」もまた意味がある!?文明のパラドックス、か。
行き過ぎへの警鐘、とみることも可能。
、、、、しかしねぇ、世の中、為政者連中の頭の中は。

「原子核力」初めて聞いた表現です。原子核の破壊は人間細胞の破壊でもある、恐ろしいものを見つけたものです。

3号機の燃料プールに保管されていた猛毒プルトニウムを含むMOX燃料は3号機の水素爆発で飛び散り、敷地内は悲惨なプルトニウム汚染が生じているのではないかと非常に心配している。

原子力安全・保安院はプルトニウム測定評価はしていないということらしいが、していないなら、しなければいけないではないでしょうか。また計器が壊れていて計れないというのでしょうか。それとも、すでにデータは持っているがパニックになるので公表しないのか。

いずれにしても、3号機の水素爆発でプルサーマルMOX燃料が保管されていた燃料プールは原形を留めずでしょうか。

情報を隠し始めると、次から、次へと隠蔽が続きます。ますます我々の心配は増幅されます。この連鎖を断ち切るには安全・保安院が正しい情報を、直ちに、冷静に発信して頂くことだけです。

原発推進論者を人間の楯に 与謝野を現地対策委員長に推薦します。

「ここまで来たか」でしかないのだが
黒とか白とか言い合っているだけの「論争」ですむのであればいいのだが
原発推進の可否はその域をはるかに超えてきた。
そこで、もはやクロシロを議論する以前に、「逃げだす推進論者が多数いる」のが許せない。
だから「論者」にはその論理の正当性を証明するために「人間の楯」になることを今後は条件にすることができる。

さて福島から東京は200キロである。予測していたとおり「北東流」の風にのって、東京に「死の灰」が降り注ぎ、ようやく、、他人事ではなくなった。
もはや先の短い「風」は既に覚悟を決めて、あたふたする気は毛頭ない。

それにしても「この程度」で、この反応、であるならば、戦術核弾頭やいくら小型といえ大気圏核実験および事故なんぞは、とんでもない騒ぎとパニックを引き起こすことが証明されたようなものである。中国はそれで多数のウィグル人を被曝させた。

つまりは「汚い爆弾」使用済み核物質をばら撒くだけで、政権中枢から首都は大混乱に陥れることが可能なのである。とすれば「テロ戦術」も見直しが可能である。「国家の危機管理」とはそういうことを考えることである。

いまだに、予断は許されない。が、最悪のケースでも少なくとも「チェルノビリ」には到達しないことだけは確かである。

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『知らなきゃヤバイ!民主党─新経済戦略の光と影』
2009年11月、日刊工業新聞社

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